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父、母への感謝

掲載日:2019年6月19日 00:13

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こんにちは!ハンス新白島校の野田です。

みなさん、頭は回転してますか!?\(^O^)/

春もすっかり終わり

暑い夏が迫ってきてますね。

汗かき暑がりの僕には

厳しい季節がやってきます…。

(;´Д`)フゥー

 

 

さて、5月と6月には

『母の日』と

『父の日』が

ありましたね。

みなさんはお父さんお母さんに

感謝の気持ちを伝えたでしょうか。

 

 

母の日、父の日って、なんであるの?

 

そもそも、『母の日』『父の日』は

なんでできたのでしょうか?

例によって

調 べ て み ま し た !! (笑)

 

 

20世紀初頭

アメリカのアンナ・ジャーヴィスという女性が

苦労して自分を育ててくれた母親の命日に

追悼の意をこめて

フィラデルフィアの教会で

たくさんの白いカーネーションを

母親のためにおそなえしました。

 

ちなみに、白のカーネーションには

「亡き母をしのぶ」

という花言葉があるんだそうです。

 

このことが他の参列者に感動を与え

しだいに全米へと広がっていったんだそうです。

そしてこれを期にアンナさんは

「母への感謝の気持ちを捧げる休日」

を作るよう、アメリカの議会に呼びかけました。

やがてその声は

なんと大統領にまで届き

1914年、アメリカの議会にて

5月の第2日曜日を「母の日」と定められ

国旗を掲げて母への感謝を示す日

となったんだそうです。

 

 

こうして『母の日』は

やがて世界中に広まって

日本にも大正時代に伝わってきたんだそうです。

 

ちなみに、

亡くなった母へは、白のカーネーションを

ご健在の母へは、赤のカーネーションを

贈ります。

赤のカーネーションは「母性愛」を表すんだとか。

 

まぁ現在では

花に限らずプレゼントを贈るのが

普通になってきていますね。

 

 

 

さて、次に『父の日』について。

 

アメリカはワシントン州に住む

ジョン・ブルース・ドット夫人という女性が

『母の日』が広く認知された頃に

「じゃあ『父の日』も作ってください!」

と呼びかけたのがきっかけです。

 

 

ドット夫人は6人兄弟の末っ子でしたが

幼いころ、ちょうどアメリカ南北戦争の真っただ中で

父親は軍人で戦争に赴き

家にはいませんでした。

そのため、貧しい中でお母さんは

女手一つで働きながら

6人の子供たちを育てていました。

しかし無理がたたって

お母さんは体を壊してしまい

戦争が終わってお父さんが帰ってきたあと

間もなくして亡くなってしまいました。

そこからは、今度はお父さんが

男手一つで6人の子供たちを

必死で育てていったのです。

戦争後はアメリカといえど

今ほど豊かではなかったので

お父さんの苦労は相当なものだったでしょうが

子供たちを立派に育て上げるために

再婚もせず生涯独身で働きとおしたそうです。

 

そんなお母さんお父さんに育てられた

末っ子のドット夫人にとって

「母にも父にも同じように感謝したい!」

と思っての

『父の日』の呼びかけだったのでしょう。

 

数年後には『父の日』も認知されるようになり

時間はかかりましたが

1972年に、ようやくアメリカで

6月の第3日曜日が

『父の日』として国民の祝日となりました。

 

『父の日』は

「父親を尊敬し、称え、祝う日」

なんだそうです。

 

 

いやぁ~

父も母も偉大ですね。

僕もいつかは

偉大な父になれるのでしょうか…(笑)

 

 

「当たり前」なことにこそ「ありがとう」

 

僕たちは

豊かに国の豊かな時代に生きていて

ある程度のものは

「当たり前」に手に入れることができます。

 

でもそのために

たくさんの人たちが見えないところで

努力して苦労して頑張ってくれてる

ということも忘れてはいけません。

 

毎日おいしいごはんを食べさせてくれている

毎日働いてお金をかせいでくれている

お父さん、お母さんに

普段は照れくさくて言えてなくても

たまにはちゃんと伝えましょう。

「いつもありがとう」

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